しめすへん

日常

このところ朝晩は涼しくなり引っ張り出してきた長袖を羽織ったりしますが、日中はやっぱり暑くて薄着になって扇風機で汗を吹き飛ばしたりと体温調整に忙しくしているうちに9月ももう終わりとなりました。道端にはコスモスやら彼岸花、そして少々気になるものを発見。

というか、これ前々から気にはなっていたんです。だいぶ前に撮った写真ですし。神社名が掘られた何の変哲もない石柱、「社号標」と呼ばれるもので、その一部分を拡大して一部加工を施した画像です。

「神社」は「神」も「社」も「しめすへん」→「ネ」で習いますし多くの方々が普段そう書かれると思います。その一方で「祇園」の「祇」や「祭祀」の「祀」のように「しめすへん」→「示」で書く文字もあるんですよね。「しめすへん」ってなに?

まあ「しめすへん」っていうくらいですから、もともと「示」であったんだろうとは予測できますね。実際そのとおりでして、「示」は祭祀に使われる祭壇や机の形からできた象形文字(諸説あり)で主に神事関連の文字に含め用いられるようです。「示」を筆記体(楷書・行書・草書)で崩して書くと「ネ」になるというか「ネ」っぽくなるというか。まあ書く人によって「示」寄りになったり「ネ」寄りになったり。

昭和21年(1946年)に告示された「当用漢字表」、その字体に関する昭和24年(1949年)の「当用漢字字体表」で「示」を「ネ」と書く新字体が採用されるという出来事があったんですね。「当用漢字」というのはたくさんある漢字のなかから使用頻度の高いものを中心に構成し、公文書や出版物などはこれらの漢字を使用しましょう、複雑で不統一な字体の一部を簡略的な字体にしましょうと内閣が告示したものです。要するに使用する漢字数を制限して字体も統一して簡単便利にと。

そんなこんなで筆記体で用いられてた「ネ」が活字体でも使われることになったんですが、「当用漢字字体表」から漏れた字については「示」のままだったり、人名などで使用するのに同一の字で「示」と「ネ」が混在したり。「視」という字は部首が「しめす」ではなく「みる」なのにとばっちりで「示」から「ネ」に変更されちゃったとか。

時代が流れコンピュータが普及してくると漢字コードというのが制定されることになります。当用漢字を反映したJIS78(1978年)が制定され、昭和56年(1981年)に「当用漢字表」の後継である「常用漢字表」が告示されるんですが、その後に制定されたJIS83(1983年)は常用漢字以外の字も新字体のように簡略してしまい(拡張新字体)、国の思惑とズレが生じるということがあったようです。JIS2004(2004年)で修正されるんですが、その間に作られたフォントなどは影響を受けているようです。

たとえば祇園(ぎおん)の「祇」は新字体がないので「示」でいいのですが、Windows付属でOS購入と同時に最新版が提供される「MSゴシック」「MS明朝」「メイリオ」以外の少し古めのフォントは「ネ」と表示されるものがあったりします。「祇園 ポスター」で画像検索(←クリック)してみると「ネ」になってるものがたくさん見つかります。まあ筆記風のフォントなら「ネ」でもありっちゃありなんですが。

さて、「当用漢字表」→「常用漢字表」という流れかと思いきやそうでもないようで。大正12年(1923年)に文部省臨時国語調査会が発表した「常用漢字表」を9月1日から実施予定としていたんですが、同日発生の関東大震災により頓挫してしまったんですって。でも昭和6年(1931年)には「修正常用漢字表」というのがでてくるので使用はされていたんですね。このころから「澤」→「沢」などの略字もあったようです。戦中は「常用漢字表」→「標準漢字表」になり、漢字の濫用を避けつつ、その時代(戦中)に必要な漢字を含めたそうです。

そして戦後まもなく前述の「当用漢字表」に代わっていくのですが、GHQによる日本語ローマ字化計画なども持ち上がってたりしてる最中、大急ぎで「漢字簡単に書けるよ!」と「当用漢字字体表」までこぎつけたんですかね。GHQは「漢字は覚えるのが難しい」→「識字率が上がらない」→「日本語ローマ字化」ということにしたかったらしいですが、昭和23年(1948年)に調査したところ漢字の読み書きができない方はわずか2%ほどだったそうです。

それにしても件の写真の「ネ」と「示」を混在させて「ネ申」「示土」としてるのはなぜなのか。やっぱり昭和24年(1949年)の「当用漢字字体表」の影響?実はこの「社号標」を後ろ側から撮った写真もあるんです。

「大正十一年三月建之」・・・。大正11年(1922年)って「当用漢字字体表」より27年も前ですし、一番古い「当用漢字表」よりも前ですし。建之(これをたつ)ですから普通に考えると掘られているのはこの「社号標」そのものを建てた年月ということになると思うのですが、うーん謎は深まるばかり。いやしかしこの石柱が100年も前に建てられた代物だったとは大正11年を西暦に変換するまで気が付きませんでした。

こういうのはあまり気にしないほうがいいんですかね、凡人には理解し難いこだわりとかがあるのかもしれない。もしかしたら当時の流行とか・・・と閃いて「社号標」で画像検索(←クリック)。おお!あの靖國神社もこのパターンでしたか。神社によって結構まちまちなんですねぇ。

というわけで、なぜなのかは結局分からず終いでしたが、読めりゃなんだっていいさー!

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